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大阪家庭裁判所堺支部 昭和42年(少ハ)2号 決定 1967年7月17日

本人 B・N(昭二二・七・四生)

主文

本件申請はこれを却下する。

理由

京都医療少年院長の本件収容継続申請の要旨は、本人は昭和四一年六月七日大阪家庭裁判所堺支部において特別少年院送致の決定を受け翌八日河内少年院に入院し爾来同少年院において矯正教育中であつたところ昭和四二年六月一八日不明熱を治療するため京都医療少年院に移送されたもので同医療少年院では本人につき精密検査を行つた結果同月二四日本人が肺結核(開放性)で向後一年の安静加療を要するものと診断された。しかるところ本人は同年七月四日満二〇歳に達し退院となるので退院後の病気療養につき本人の身柄引取人である本人の実父は、本人の同医療少年院退院後地方病院に入院させようとして、自己が経済力がないため堺市福祉事務所に対しその入院措置を依頼していたのであるが、結局同措置は不可能になつたことが判明したため同医療少年院が本人の満年齢に達した後も引続き病気治療を継続して行かねばならなくなつた。よつてこれがため止むなく今後の地方病院入院措置期間の余裕を考慮して三箇月程度の収容継続を申請するというにある。そこで本件記録及び調査の結果を綜合すると、上記の各事実がすべて認められる他本人が河内少年院における矯正教育中成績も普通で処遇も順調に累進し昭和四二年四月一日に一級上に達し矯正教育の段階は過ぎたこと、京都医療少年院に移送された後も真面目に病気の治療を受け療養態度も良好であること並びに堺市福祉事務所が本人のため医療扶助申請にもとづき地方病院への入院措置を考慮して交渉したが何れの病院も満床等の理由で断つたことがそれぞれ認められる。

しかるところ、本件申請を受理した後当庁家庭裁判所調査官が堺市福祉事務所に種々交渉した結果、漸く同事務所の奔走で大阪市住吉区○○○町○丁目所在○○○病院において本人を受入れてくれることに交渉がまとまり、同年七月一七日を期して同病院に入院することに決定した。

そこでかように事態が好転した現在、同医療少年院側としても何等の懸念することなく本人を退院させることができるので、最早や本件申請はその理由が解消したものということができるから結局これを却下することとし主文のとおり決定する。

(裁判官 白須賀佳男)

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